戯言日記

生き方に迷った私の戯言、日記

個と自分 そして私について

個性ってのは自分の欲求に素直に

なったものに名前をつけたものだと考える。

 

素直になれない人は個性ってのが

眠っていて気づかないもしくは

気づこうとしていない、

 

気づかない人は今が安定しているから

冒険できないのか、既に守るものがある人

だと思っている。

自分の個性について本気で悩んでる人には

申し訳ないけれど、

自分の気持ちに挑戦できてないから、

個性が見えないんだと感じる。

 

ただ、別の理由もある

友人には

親の借金を返すために努力する人

シングルマザーの母を助けるために

必死に働く人

 

個性を潰しても今を努力してる人間もいる。

 

前者は本当にきっかけが必要で

自分のやりたい興味がある

大事にして挑戦することを恐れなければ

個性、自分らしさってものを見つけられるのだと思っている。

 

 

気づこうとしていない人について

 

自分を大事にすること、

素直になることが正しいと思っていない

人はどんなに素敵な個性があっても

世間の普通に飲まれていくだけだと

とても残念に思う。

 

自分自身の経験では自分には何も無いんだと

思った時、誰かに縋ることしか出来なかった。

得意なこともない、趣味もない、

私は世間一般の幸せ、

普通に勉強して普通に進学して

普通に働いて、普通に結婚して、

 

ってのを描いていたのかもしれない。

 

そのしがらみが嫌で人に縋って

個性を見出した。

それも続かなかった、

相手に依存するだけの関係

そんなの長く続くわけもなく

自分を他人に任せているのだから

無理は来るもので、

ただそれしか頼るものがないから

 

その恋ともなんとも言えない

関係を延命治療の様に繋げながら、

自分のやりたいことについて向き合うこと

その中で夢と趣味を見つけた。

 

でもそれが正しいのか間違いなのか、

ずっと考えることはしなかった。

その後たくさんの失敗と後悔を

繰り返したから今の自分がいるのかも

しれないが、

 

挑戦したこと自分の考えに向き合ったことは

今でも生きてるし、その趣味や夢に向かって

努力したことは今でも生きる糧になっている。

 

これをする前提でまず、親を否定することが

スタートだった、大きすぎる親の背中を追って

親の言うことを絶対と考えていたんだが

親は親として自分でも、自分の将来でも無い。

 

自分が今置かれてる場所をすべて否定しろなんて偉そうなことは言えないが自分が正しいと思うことを否定する日があってもいいと思う。

親と育ててくれた感謝すべき相手と考えず、

他者と自分

 

自分は何が正しいと思うのかに重点を置いて

考えてみると少しは明るい未来が見えると思う。

 

最終的に言いたいことは

いちばん大事にするべきものは

親でも恋人でも友人でも上司でもなくて

自分であるということ。

 

自分が大事にしている、

自分を認めてくれる人間が本当の

その次に大事にすべき人だと思う。

なにかに縛られてる間は見えない何か

それを見るために自分を否定しても

親を否定してもいいと私は思うのだ。